山下耕象のプロフィール |
| 平成11年1月23日オープン・平成11年2月23日更新 |
生まれた時から汽車が好き。当時、東海道線のそばに住んでおり、線路のそばで遊んでいた(遊んでいたから好きになったのではなく、好きだから遊びに行っていた。)
進学先を決定するにあたって、鉄道科に進みたい自分と、普通科に進ませたい父親と対立。その結果、普通科に進学したものの国鉄でアルバイトを始める。この時、本物の鉄道に直に触れていたら模型に飽きたらなさを感じ、鉄道模型は止めてしまう。また、写真も同じ。
高校時代の終わり頃、アルバイト先の助役から常勤的に国鉄で働けるところを紹介され、そっちへ移籍した。配置は日本国有鉄道東京南鉄道管理局東京駅要員機動センター。職名は助勤。国鉄の準職員の待遇である。
要員機動センターは、新採職員の現場見習いのマネージメントと、波動対策要員を管理する部署である。つまり、お正月の鎌倉、夏の逗子など、特定の時期のみ応援職員を必要とする駅や、事故欠職員の穴埋めなどに、波動対策要員を配置する職場である。当然ながら、勤務先は東京南鉄道管理局管内の全部署で、勤務時間も勤務日も勤務先も、毎日異なることが少なくない。
主に改札を担当したが、アルバイト時代には認められていなかった、精算、払い戻し等、現金収受を伴う業務が与えられた。また、出札、小荷物扱い、ホーム、車掌区等も経験し、忙しいながらも楽しい毎日であった。その後、要員機動センターはJR移行に伴い、国鉄精算事業団がJRに採用されなかった職員の受け皿として使われている。
就職は千葉県北西部の市立博物館学芸員。国鉄採用も考えたが、当時の国鉄はスト権ストの余波が激しく、加えて、大学卒での就職は本社採用か支社採用のキャリヤ組(全国で80人程度を採用。学閥が激しいところでもある。)のみであったため、地元に就職してしまった。
その後、博物館、市史編纂、社会教育と、一貫して学芸員として現在に至っている。
就職後、鉄道に乗る機会は全くなくなり、自動車免許を取ったこともあって、10年ほど鉄道から離れていたが、縁あって寝台特急に乗った瞬間、汽車の虫が覚醒し、生涯、回復の見込みがない、重症の”鉄人”(またの名を”鉄ちゃん”)になってしまった。
現在、インターネットにはまり、日夜、ニュースグループで論戦を戦わせている。