味醂と一茶と記念館

平成11年1月23日オープン・平成11年2月10日更新


1.流山の白味淋
 一茶双樹記念館のもとの所有者である秋元家は、江戸時代中期(天明年間)に4代目秋元三左衛門が味淋醸造を始めたことにはじまりますが、当時の味淋は餅米と米麹を掛け合わせて醸造していたため、褐色で酸味と臭いの強いアルコール飲料であったと考えられます。
 5代目三左衛門は、餅米、米麹の他に焼酎(現在では醸造用アルコール)を加える醸造方法を開発しました。ご存じとは思いますが、焼酎は殺菌力が強く、醸造に際しては発酵止めるために混入するものです。それを醸造の始まりに混入するわけですから、当時としては考えられないような画期的な醸造方法であったことはご理解いただけると存じます。焼酎の比率によって麹菌は繁殖できて、それ以外の細菌はできないアルコール濃度を見極め、醸造方法として確立したことにより現在の白味淋が誕生した訳ですが、白味淋はアルコール飲料としては甘味が強くまろやかであり、従来の味淋とは比較にならない美味しさであったと考えられます。また、当時の江戸は、関東の濃口醤油が出回り始めた頃ですし、その醤油との大変に相性が良く、蒲焼き、蕎麦つゆ、蒲鉾など「江戸の味」作りだし、「流山の白味淋」として全国的に流通が始まったことが秋元家を大きく繁栄させたと考えられます。
 この時期、流山では「天晴」ブランドの秋元家と、「万上」ブランドの堀切家が共に白味淋で繁盛していましたが、秋元家の方が大きかったようで、小林一茶と交流のあった5代目三左衛門は秋元家が大きくなる上昇期に位置し、味淋醸造を始めた当主が俳句という文芸に手を染めることができたことは、秋元家の経営が確立していたことを窺わせています。

2.一茶双樹記念館の敷地
 現在の一茶双樹記念館は秋元家の離れと中庭です。本来の敷地は光明院、赤城神社と長流寺との間で、奥行きは現在の県道付近までという広大な敷地を擁していましたが、大正時代末期に何らかの理由で銀行経営に出資したことが原因で、昭和16年には事業を他の会社に譲らざるを得なくなりました。秋元家では離れと中庭を自宅として使用するために残し、それ以外の敷地や設備を「帝国酒造」に売却しましたが、「帝国酒造」は戦後解散し、「東邦酒精」に売却され、さらに「東邦酒精」が会社を解散すると「三楽オーシャン」に売却されました。現在「メルシャン流山工場」となっておりますが、これは「三楽オーシャン」が会社名を変更したことによるものです。

3.一茶双樹記念館の建物
 前述のように、一茶双樹記念館の建物は秋元家の離れですが、これは7代目三左衛門が8代目三左衛門の結婚式を考えて建てることを思い立ったと伝えられています。しかし、7代目は材料を集めただけで亡くなり、8代目が安政4年に建てています。
 商家の離れということもあり、建物の規模や装飾を見ると地味で質素に見えます。しかし、その材料や細工を子細に見ますと、杉材は赤身の節なし柾目板のみを使用したり、柱は赤松の節なし四方柾目で割を入れないものだけを使う。床の間板に黒柿の一枚板を使う。襖の引き手に彫刻を施した特注品を使うなど、贅沢と粋が尽くされた造りとなっています。

4.一茶双樹記念館設立の経緯
 味醂醸造をやめてからは普通の家として暮らしていた秋元家ですが、流山市では秋元家を「小林一茶奇遇の地」として、現在の敷地と建物を文化財として市の指定史跡に指定してありました。そんな中、秋元家から改築の申請が出されため、流山市が敷地を交換する形で引き取り、解体修理などの手を加え、市民の憩いの場として平成7年4月に一般公開し、現在に到っています。

5.公開時間等
休 館 日  毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日が休館。)
開館時間   午前9時から午後4時50分まで(入館は4時30分まで)
観 覧 料  一般100円。小中学生50円。 70歳以上、身障手帳所持者は無料。
          (20人以上は団体料金適用。大人80円。小中学生40円。)
茶室利用   京間8畳の和室が低料金で利用できます。(午前中1500円〜、午後2000円〜。)
         市内居住や利用日などの条件によって異なりますのでお問い合わせ下さい。
         申し込みは3ケ月前の同日から受けつけます。